*【申込受付中】4月6日開催!「イスラエル・パレスチナ、共存への道」森佑一取材報告会
テルアビブにあるNGO Breaking The Silence(BTS)のオフィスにお邪魔して活動している方々にインタビュー取材を行いました。当NGOは、第二次インティファーダ(民衆蜂起)を期に2004年にイスラエルの退役軍人により設立された団体です。
主な活動としては、パレスチナ西岸(以降、西岸)やガザ、東エルサレムなどで活動していた元イスラエル兵士たちの証言を集めて占領地の実態を伝えることで、社会の中にイスラエル政府の占領政策に対する問題意識や議論を巻き起こし、最終的に占領政策に終止符を打つことを目的としています。
今回こちらのオフィスで3名の方にお話を伺いました。2人目はブラジル出身のルイスさん(31)。彼はBTSにおいてはJewish Diaspora Educational Coordinatorとして世界中のユダヤ人コミュニティと関わる活動をしています。
Q:いつからBTSで活動していますか?イスラエルに来たきっかけは何ですか?
一年前の2023年2月からこのNGOで活動しています。以前からこのNGOのことは知っていて教育分野のプロジェクトに関わったこともあります。自分自身、元々この手の政治活動には関心があったのでBTSで活動を始めることができて嬉しく思っています。
私はブラジルで生まれ育ち、ブラジルのユダヤ人コミュニティと深い繋がりがありました。ユダヤ人というアイデンティティは自分自身と家族にとって非常に重要だったので、イスラエルに対しても強い繋がりを感じていました。当時はユダヤ人学校に通っていて、シナゴーグのイベントにも参加していたのでユダヤ人としての伝統的、宗教的な感覚も持っていました。
またシオニスト若者運動(Zionist Youth Movement)のメンバーでもありました。この運動は自分の人生に大きな影響を及ぼしました。この運動を通して、2011年(当時18歳)に初めてイスラエルを訪れ、今まで以上にイスラエルとの結びつきが強くなりました。その時はギャップイヤープログラムに参加していました。
イスラエルで勉強したり働いたり新しい環境に触れて、すぐこの国が好きになりました。この国との繋がりを強く感じて本当に好きになりました。その数年後に再びイスラエルに来て暮らす様になったんです。ちょうど2ヶ月前でイスラエルで暮らし始めて10年になります。
Q:いつ兵役に就いていましたか?当時兵役に就くことに対してどう思っていましたか?
2014年3月に再びイスラエルに来て、同年12月には既に兵役に就いていました。イスラエルに来て兵役に就くまでの数ヶ月間は、ヘブライ語を勉強したり働いたりしていました。
私はイスラエルに来た時既に占領政策に対して批判的でした。というのも、シオニスト若者運動の中で私たちは占領政策についてたくさん話し合っていたからです。この運動の方針が政治的なユダヤ人の若者、例えば政治活動家やコミュニティリーダーなどを養成することだったので占領政策に関してもある程度理解していました。
過去に数多くの戦争が起きてイスラエルは強い軍隊を持ち、安全保障のために強い軍隊を維持し、それにより幸いパレスチナの占領地域をコントロールできていました。それは問題であり良くないことだという意識はありましが、何か起きたら対処しなければならないという考えを持っていました。
この地域が悪い状況にあるという認識はあったのですが、ブラジルから非常に遠い地域だったので、現地が実際どういった状況にあるのかについてはちゃんと理解できていませんでした。占領下での日常、パレスチナ人の暮らし、イスラエル軍がどういった存在なのかについて分かっていませんでした。
平和のために二国家共存や外交による和平が必要だという考えがあったにも関わらず、自分自身にとっては軍の活動に従事するということも重要だと感じていて、その中でバランスを取る必要がありました。
私のモチベーションはイスラエルという国や市民を守ることにありました。ユダヤ人は歴史の中で大きなトラウマを抱えています。それに家族の中で自分が初めてイスラエル軍に入隊したということもあり誇りを持っていました。
兵役中、私がそれまで考えていたことと実際に自分が兵士として現場でやっていることに大きなギャップを感じ、自分自身に疑問を持ち始めました。
なぜ、このパレスチナ人の家に押し入らなければならなかったのか。
なぜ、真夜中にパレスチナ人家族を叩き起こさなければならなかったのか。
なぜ、普通のパレスチナ人市民を足止めしなければならなかったのか。
こういった疑問は自分自身を煩わせる様になっていきました。自分たちがやっている多くのことの意味が分からなくなってしまいました。
イスラエルがこの地に建国され発展し、今では全てが普通のことになってしまいました。全ての人、友人や家族の生活が軍のために準備されていて、大半の人が兵役に就きます。一方で多くの人が、軍が西岸やガザなどの占領地でどの様に機能しているのかを知りません。
兵役を通して様々な疑問を抱き、自分の中で明らかになったことがあります。私は「税金を納める義務を負う市民が抱いている疑問に応える必要性がある」と。それが私が占領政策に反対する活動を行うモチベーションになっています。
パレスチナ人が置かれている状況は悲惨だし、イスラエル自身腐敗したシステムを抱えていて、若い世代を兵役に就かせることが普通になっています。政府は大半の市民をコントロール下に置くというとても腐敗した考えで動いています。
Q:兵役中はどこで活動していましたか?基本的にどの様な活動をしていましたか?
北部のレバノン国境地帯やガザの境界付近でも活動したこともありますが、大半は西岸で活動していました。8割は西岸にいて、ヘブロンやナブルスなど様々な場所に配属されました。エルサレムでも少し活動したことがあります。
現地で行っていたこととしては、入植地周辺をパトロールしたり、パレスチナ人を逮捕したり、パレスチナ人の家に押し入ってライフルなどの武器を捜索したり、都市間にあるチェックポイントに立ってそこを通過する人を監視管理したりとたくさんの任務をこなしていました。
2014年夏に起きたガザ戦争(Operation Protective Edge)の数ヶ月後から兵役についていたのですが、その時はイスラエル軍がどの様に機能しているのかあまり分かっていませんでした。
占領下の西岸では映画で見る様な激しい衝突や戦闘などは少なく、落ち着いた静かな日常が流れていました。しばらくすると、この静寂が構造化されたメカニズムから来ているのだと分かりました。
私はイスラエルが好きでこの国を信じていたからこそ、地球の反対側(ブラジル)から家族や友人、ユダヤ人コミュニティを離れてここへやって来ました。しかし、西岸で見たものは悪人やテロリストを捕まえる替わりに、イスラエル人の入植者を守るための警察的な役割を担った活動でした。兵役中の私の視野は、完全に非道徳的でイスラエルにとっても良いものではありませんでした。
私は平和を信じていますし、この地にはイスラエル人もパレスチナ人も暮らしている。そんな中で両者が共生できる道を見つけるしかない。それもまたBTSで活動する上でモチベーションになっています。
Q:イスラエル軍のワークシフトは、12時間働いて12時間休むなど非常に厳しいと聞きましたがどうでしたか?
ワークシフトは配属された場所や役職によって異なります。役職によっては常に空腹状態で疲労を抱えていて、夏は暑く冬は寒い環境下での活動を強いられることもあります。
実際、大半の兵士は西岸での活動に従事しないので、西岸の状況をちゃんと理解している人は少ないです。それに一般のイスラエル人が西岸へ行くこともほとんど無いので、多くの人が西岸で暮らすパレスチナ人のことを知りません。
また兵士の大半が18歳から20歳ととても若く、その若さで多大な責任を背負うことになります。イスラエル人の入植者を守る以外にも現地のパレスチナ人をコントロールしなければなりません。その様な普通ではない状況下で人として当たり前の感覚を維持することは難しいです。
イスラエルは兵役に就く若者に対して、軍がやっていることを美化したり理想化することを止めなければなりません。
入植者についてはより複雑です。入植地では別の民主主義のルールが機能していて、別の法律が適用されています。入植者はイスラエル市民であり身分証を持ち権利を有しています。一方でパレスチナ人が暮らしている地域には軍のルールが適用されています。
入植地の中には暴力的で過激な入植者が一部いて、彼らはパレスチナ人を攻撃しようとしますが、入植者はイスラエル人であり保護する対象になっています。またパレスチナ人の中にもこちらを攻撃しようとする者が存在します。
兵士たちは、イスラエル入植地とパレスチナ自治区で異なるルールが存在する複雑な状況下で活動しています。また軍の中にも様々な司令官がいてそれぞれに異なった挙動をします。そういった複雑な状況にイスラエル人は目を向けなければなりません。
Q:西岸にパレスチナ人に対して嫌がらせや暴力行為に及ぶ入植者がいますが、直接話したことはありますか?彼らはどういった人たちですか?
現在西岸には50万人以上のたくさんの入植者が存在しています。もし彼ら全てが暴力的な入植者であれば問題はさらに深刻です。
ですが大半の入植者は、入植地だと安価に良い住環境が手に入るから、聖書に出てくる様な綺麗な土地だからという理由で移住している経済的入植者(Economical Settlers)と呼ばれる人たちです。入植地では政府による助成や投資があるため安く住めます。テルアビブで小さくて汚いアパートを買うのと同じくらいの金額で入植地では大きくて快適な家が手に入ります。
一方でいつくかの入植地には、過激で暴力的かつ政治的で宗教的な入植者がいます。例えば、ナブルスにはヨセフの墓というユダヤ教徒にとって非常に神聖な聖地があるのですが、問題なのがそれが西岸第二の都市の中にあるということです。
ここでユダヤ人が礼拝をする際には、周辺警備のために大勢のイスラエル兵が動員されます。私が所属していた部隊も2度それに動員されたのですが、初めてそこに動員された時はショックでした。
まず初めに、真夜中に兵士たちがヨセフの墓がある地区一帯に入って行って各所に配置につき、誰もその地区に近づけない様にして安全を確保します。
その後、入植者を乗せたバスがそこに到着し安全を確保した道を彼らが歩いてヨセフの墓に向かいます。その時は約1000人ものユダヤ人がお祈りのために真夜中に到着しました。
第一グループが通りを通過する時は静かで何事もなかったのですが、その後過激思想に染った若い入植者たちがやってきて混乱を引き起こしました。彼らはギターやドラムを演奏したり歌を歌ったりして騒音を起こして現地の人との衝突を招きました。騒音はナブルス住民を起こしました。
そこには16~17歳くらいの青年が6~7人いて、彼らは典型的なユダヤの宗教衣装を纏っていました。そこで私は「そういったことをするのを止めて、ここでは静かにしていてくれ!あなたたちを保護しなければならないから止めてくれ!」と言いました。
その時、私は軍人や権威として論理的に考えて、安全な状況を維持するべく振る舞っていました。軍人である私たちの前では市民はやりたい放題できないはずなんですが、私が彼らに対して注意し終わるか終わらないかくらいに、彼らは私たちに向かって叫び出しました。
私たちは彼らを守る役割を担っていて、安全に礼拝ができる様に努めていたから「西岸第二の都市で真夜中にギターやドラムを叩いたり、叫んだりして騒ぎを起こすべきではない」と言っただけでした。
すると彼らは「お前は極左か!アラブ人を守るのか!一体何を信仰しているんだ!」などと罵声を浴びせてきました。その時はとてもショックを受けました。
イスラエルが好きで他の地(ブラジル)からやって来て、彼らを守りに来ているにも関わらず自分たちを攻撃するのかと思いました。これは私の兵役中に起きた悪い出来事のひとつです。
Q:BTSでの役割は何ですが?
現在BTSでは、Jewish Diaspora Educational Coordinatorとして活動しています。主に世界中のユダヤ人コミュニティやNGOと協力した活動を行なっています。
特にアメリカの巨大ユダヤ人コミュニティとの関わりが多いです。アメリカのユダヤ人コミュニティが持つ影響力は大きく、アメリカとイスラエルの繋がりも強いです。他にもヨーロッパのユダヤ人コミュニティ。もちろん南アメリカのユダヤ人コミュニティとも関わっています。
イスラエルで起きている全てのことは世界と繋がっていて、世界中のユダヤ人に影響を及ぼしています。国外にはイスラエルに家族や知人がいるユダヤ人もいて彼らは恐怖や不安を感じています。
イスラエル政府の方針はユダヤ人の歴史に基づいていて、パレスチナ人に影響を与えています。そして入植者によるパレスチナ人に対する暴力や土地の収奪は、ユダヤ人の歴史的なトラウマを理由に正当化されています。
入植者の活動は「ここは神に与えられた土地だ」という狂信的とも言える宗教心により突き動かされています。これは非常に危険な流れで、ナショナリズムや過激主義に繋がっていると思います。これはイスラエルが進むべき道ではありません。
Q:イスラエルに来て10年経って社会はどの様に変わったと思いますか?BTSのアドボカシー活動などで社会は次第に良くなっていると感じますか?
昨年2023年はたくさんのことが起きました。私がイスラエルに来てからもいくらかは社会が変化したと思います。
全体的には社会が右傾化、過激化している様に思います。私がイスラエルに来てから5回選挙があったのですが、選挙の度に状況が悪くなっている様に感じます。そしてついには現在のネタニヤフ政権になってしまいました。
現ネタニヤフ政権はイスラエルの歴史の中で最も過激な極右政権です。政権内の大臣やクネセト(議会)のメンバーは、極右活動家である故メイル・カハネの生徒でファシズム的で過激なナショナリスト右派グループに属しています。
80年代に議会の中でこの潮流が生まれ、今も引き継いでいる人が存在し力を保持しています。こうした過激派の潮流が蓄積して10月7日に爆発しました。現在イスラエルの民主主義は危機に瀕しています。
私はこういった傾向をイスラエルに来た時から感じていました。極右過激派勢力は西岸などで入植を進め、パレスチナ人からさらに土地を奪い続けています。
一般の人たちは、西岸だけが占領下にあると思い自分たちの側(イスラエル)では民主主義が機能していると思っていました。しかし現政権はイスラエル社会にも占領政策の仕組みを導入し、パレスチナと同じ様にコントロールしようとしています。
そして今、多くのイスラエル市民がそれに気づき始めています。西岸やガザの人々の痛み、人質になっている130名以上の人々など、全ての痛みから前向きな方向性を導き出している様に思います。