*【申込受付中】4月6日開催!「イスラエル・パレスチナ、共存への道」森佑一取材報告会
テルアビブにあるNGO Breaking The Silence(BTS)のオフィスにお邪魔して活動している方々にインタビュー取材を行いました。当NGOは、第二次インティファーダ(民衆蜂起)を期に2004年にイスラエルの退役軍人により設立された団体です。
主な活動としては、パレスチナ西岸(以降、西岸)やガザ、東エルサレムなどで活動していた元イスラエル兵士たちの証言を集めて占領地の実態を伝えることで、社会の中にイスラエル政府の占領政策に対する問題意識や議論を巻き起こし、最終的に占領政策に終止符を打つことを目的としています。
今回こちらのオフィスで3名の方にお話を伺ったので順にご紹介していきます。1人目はハイファ南部の都市出身のガイさん(25)。彼はBTSにおいて元兵士の証言を集める部署で活動しています。
Q:いつ兵役に就いていましたか?その時は何をしていましたか?
私は2021年11月(22~23歳の時)からBTSで活動しています。ここでは主に、西岸で活動していた元兵士を探してインタビューをしたり、ファクトチェックをして情報をまとめて出版するといった活動を行なっています。
私が兵役についていたのは2017~2020年の間で、主に西岸やガザ境界で活動する部隊に所属し部隊長としての役割を担っていました。
そこで行なっていたことは、基本的には指揮官の元で今後の戦争に備えた戦闘能力を向上させるトレーニングを行っていました。そのトレーニング内容は、作戦誘導の仕方や多くの装備を身につけた上での長距離移動、小規模部隊での戦術、武器の使い方など多岐に渡ります。実際に現場に配備された後は、境界地帯でパレスチナ人の管理を行なっていました。
2019年、ガザ境界のセキュリティフェンスにおける活動は大仕事でした。何千人ものパレスチナ人がフェンス前でガザの包囲や封鎖に対する抗議デモを行っていました。そんな中、私はその場に来ていた大勢の非武装のパレスチナ人を管理していました。そこで催涙弾やスポンジ弾などパレスチナ人の群衆に向かって発射していたのですが、中にはそれにより死んだり怪我をする人もいました。
これが基本的に私が兵役中に行っていたことです。当時は週一回くらいこういった大規模なデモが起きていました。それ以外の時は誰もフェンスに近づかせない様にしていました。
時々、羊の放牧をするパレスチナ人がフェンスに近づき過ぎることがあって、彼らを威嚇射撃などで追い返していました。そのため基本的にフェンスから100メートル先までは誰もいない状況でした。
Q:兵役中どの様に感じていましたか?パレスチナ人に対してどう思っていましたか?
私は兵役に入る前から基本的にはイスラエルの政治方針に反対の立場でした。ただ、兵役中は自身のモラルを維持することができませんでした。
当時私は自分の部隊や共に活動する仲間に献身的でした。部隊長だったこともあって面倒を見る仲間がいたからモラルなどは常に心の奥底に押しやっていました。そして兵役が終わった後、大きな罪の意識を感じる様になりました。
その罪を感じている部分を埋める為に今の活動を始めたんです。
Q:イスラエル軍の訓練はどういった内容でしたか?
イスラエル国防軍(IDF)は他の部署とはかなり異なった特徴を持っています。基本的には戦闘部隊で構成されていて、初めは皆同じレベルなんですが、各部隊の司令官に選出されるのに大卒などの条件はなく誰でも選ばれる可能性がありました。
兵役につくと、兵士になるための精神的に非常に厳しい訓練が始まり、市民生活は終わります。毎日髭を剃り、肉体を鍛え、指示に従うよう教え込まれます。そして、だんだん兵士としてプロフェッショナルになっていきます。
まずは射撃の訓練を受けて武器の扱いに慣れていき、特定の武器に精通していきます。自分の場合はベルギー製のマシンガンMAG-Fでした。その後、さらに武器や戦術などの専門性を上げる訓練を受けます。
部隊の指揮に適性がある者はオフィサーコースに進みリーダーシップを学ぶのですが、大半の者は基本的な訓練、指令を的確に遂行したり、肉体を鍛える訓練を受けます。
次のレベルでは、現代の戦争に対応するためのフィールドトレーニングがあり、射撃訓練や部隊における役割、特定の武器の専門性を高める訓練を受けます。例えば、暗視ゴーグルやライフルのスコープなどです。そうやって戦闘部隊で活動する上で必要な技術を身につけていきます。
また、軍がコントロールしている占領地、多くの人口を抱えている地域で活動する兵士は役割によって訓練内容が大きく変わります。
Q:兵役時代の仲間と今も話しますか?彼らは現在何をしていますか?
大半の者は兵役後、普通の市民生活に戻っていますが、中にはまだ軍に残り高官になっている者もいます。ほんの少数が、良い給料や高い地位のために軍に残ったりしています。
法律上、兵役を終えても1年か2年に1回は兵役に就くことになっていて、再訓練を受けて西岸などに派遣されることがあります。私は再び兵士として活動したくないので兵役には就きません。
Q:多くの人は兵役後に罪の意識を感じたりしていますか?
4~5ヶ月毎に3万人が兵役を終えるので、どのくらいの人が罪の意識を感じているかは分かりません。ただひとつ言えることは、イスラエルの占領政策に対する疑問など複雑な心境にあるのは共通していると思います。
占領政策の問題はイスラエル社会においてもよく議論の的になります。
兵役中に占領や無実の人への暴力、入植者を守ることに対して疑問を持っていても、大半の人は兵役が終わると占領の問題は生活の中心ではなくなります。そのため、多くの人は罪の意識や間違いを犯したという意識を感じないかもしれません。
でも、個人的にはそれはそれで良いと思っています。自分自身、兵役を通して彼らがどう感じていようと気にしません。いかに軍が悪いかと言うことが要点ではありません。兵士として西岸などで実際に何を行なっていたのか。その情報が重要だと思っています。
というのも、世間一般の人は軍の占領がどの様に機能しているのかについてあまり知りません。それを伝えることで一般の人々が占領政策に反対することが重要だと思っています(構造理解から占領政策への反対世論を形成する)。
Q:印象に残っている元兵士の証言はありますか?
証言してくれた人たちのプライバシーを保護しなければならないので今の段階では言えません。ただ、インタビューを通して一般的に言えることは、イスラエル軍がいかに残忍で暴力的で、日常的に無実のパレスチナ人たちが死んでいたかということ。
占領下での生活では、日々チェックポイントでパレスチナ人を待たせたり、屈辱を与えたり、村で誰かを殺して軍の存在感を示したりしていたことがあげられます。
Q:活動で南ヘブロンに行って現地のパレスチナ人と接する中で、自身の兵役の経験を話すことはありますか?
日々、活動で南ヘブロンツアーを組んでいて、現地ではいつも多くのパレスチナ人に会いますし、そんな中で個人的な繋がりもできます。兵役の経験はとても複雑で繊細なことだし、現地のパレスチナ人パートナーの立場に立ったら、自分ならその話を聞くと不快に感じると思います。
だから彼らに自身の兵役の経験については話せません。やっぱり私が元兵士だったことを始め、自分の全てをさらけ出すことはできません。相手がどうこうということだけではなく、自分自身も恥ずかしいと感じてしまいます。
Q:兵役を終えて現在は平和構築の分野で活動をしていますが、その間にどういった意識の変化がありましたか?
以前よりも占領について学ぶ様になりました。自分自身の視点も変わったと思います。ですが、前より気分的に暗く悲観的になりました。時々、前向きでいることがとても困難になります。
特に戦争が起きて政治的な変化があったり、無実の人がガザなどで大勢死んでいたり、戦争の影が西岸やイスラエル社会にも落ちている時にその様に感じます。正直なんと言ったら良いか分からない心境になります。