*【申込受付中】4月6日開催!「イスラエル・パレスチナ、共存への道」森佑一取材報告会
NGO Itach Ma’aki がイスラエル南部ネゲブで実施しているベドウィン支援活動を取材しました。当NGOは2006年に現地にCenter For Bedouin Women’s Rightを設立。そこと連携してUnrecognized Village(UV)と呼ばれるイスラエル政府非公認の村で暮らすベドウィン女性を中心に生活や教育、法律上の支援を行なっています。
現在、イスラエル国内には約20万人のベドウィンの人々が暮らしているそうなんですが、元々ベドウィンはアラビア半島からエジプトのシナイ半島に至る広大な地域で遊牧生活を送っていました。
そんな彼らも1930年代にアメリカやイギリスにより当地域の油田が開発されて近代化していったことで都市生活を始めたり、1950~1960年代には牧草地の縮小や人口増加、気候変動の影響もあり家畜を手放して定住し始めた様です。
また1948年のイスラエル建国に伴う第一次中東戦争により周辺アラブ諸国に定住。一部はイスラエルに定住していきました。その後1954年までに約1万人のベドウィンの人々がイスラエルの市民権を獲得したと言います。
その後1968年から1989年にかけて、イスラエル政府はネゲブ北東部に7つのベドウィン居住区を建設。その居住区以外で作ったベドウィンの村などは違法なものとして政府非公認のUVとされています。さらに、UVではコンクリート資材などによる家の建設が禁止されているそうで、そのため薄い鉄板や木製の板などすぐ撤去できる資材で建てられている家も目立ちます。
UVの数については調査団体によって数字に開きがあって正確には分からないのですが、過去の調査では45〜92のUVが存在していて、イスラエル国内のベドウィン人口の約半数の約9万人がそういった村で暮らしているそうです(2003年にはUVの一部が政府公認となった模様)。
そこで暮らす人々はイスラエル政府からの社会保障を受けられず、ガザからロケットが飛来するのを知らせるサイレンも鳴らず、避難シェルターも無いと言います。
またベドウィン人男性はガザのパレスチナ人女性と結婚するケースも多い様です。ただ、ガザ出身者はイスラエルにおいて市民権が認められず、偽の身分証を作りイスラエルの工場や農場で働く人もいる様です。ただ、当然のことながら保険には入れないので病院にかかる場合は5000シェケル(約2万円)支払う必要があるそうです。
10月7日以降はイスラエル国内にいた多くのガザ出身者が強制送還されており、ベドウィン人男性の妻として暮らしていた女性もまた強制送還されて、家族がバラバラになって子どもが取り残されてしまう事態も起きているそうです。
当NGOはそういった状況下にある人々の支援活動を行っている訳なんですが、今回取材したのはThe Harry Radzyner Law Schoolと連携して行なっている支援活動で、当学校の学生がベドウィンの人たちに食料配給を受けられるフードクーポンの申請を手助けするというもの。
イスラエル内務省のサイトには、UVで暮らす人を始め生活に困窮している人たち用のフードクーポン申請ページがあるのですが、そもそもベドウィンの人たちの中には教育を十分受けられずヘブライ語が変わらず、パソコン端末の使い方も分からない人が多くいます。そのため本来受けられる支援へのアクセスが難しくなっています。
そこで学生たちが彼らのフードクーポン申請をサポートをするわけなんですが、この支援活動が国際刑事・人道法を学んでいる学生たちにとっても良い経験になるとのことでNGOと法学校が連携して実施しているとのことでした。
ちなみに、ベドウィンのNGO職員の方の話では、ネゲブのベドウィンの人たちはパレスチナ人と同じくイスラム教徒ですが反ハマスの立場を示しているとのこと。というのも「ロケット攻撃などで市民を殺す様な連中がイスラムを代表しているとは認めない」と言っていました。一方でベドウィンの人々は忠誠心が高く一部イスラエル軍に参加して戦っていたりもします。
やはり立場が変われば見え方も変わるもの。今回そこまでベドウィンの人たちと関われなかったので、次回は彼らを取り巻く状況ももう少し深堀したいところです。