イスラエル北部の都市ハイファにて、元イスラエル兵のイタマルさんに話を伺いました。彼は現在Ta’ayushというNGOに所属しパレスチナ西岸においてProtective Presence Activism(PPA)という入植者の活動を監視・抑止するための活動を行っています。また彼はNGO Combatants For Peace(CFP)の共同設立者のひとりでもあり、Breaking The Silence(BTS)にも一部関わっていたそうです。
パレスチナ西岸では過去長きに渡りイスラエル政府や軍、入植者により不当にパレスチナ人の土地の収奪や入植地の建設が進められてきました。現在西岸はエリアA(パレスチナが行政と治安の権限を有する)、エリアB(パレスチナが行政をイスラエルが治安の権限を有す)、エリアC(イスラエルが行政と治安の権限を有す)に分けられており、イスラエルが行政や治安をコントロールするエリアCが、エリアAやBを切り離すような形で広がり現在西岸全体の約60%を占めています。
特にエリアCでは入植者による現地パレスチナ人への嫌がらせや暴力、土地の収奪が横行しており非常に脆弱な状態に置かれています。これまでイスラエル軍は入植者による西岸内での入植活動を支援したり時に抑制するなどしてきたのですが、10月7日以降は西岸内で活動していたイスラエル兵士の多くが、ガザ地区におけるハマス掃討作戦に投入され西岸内でのイスラエル軍のプレゼンスが下がっている状況。
それに伴い入植者たちが重武装し、より過激にパレスチナ人が暮らす土地を収奪する事態が発生しています。それに対し、多くのイスラエル人活動家がエリアCに赴き、入植者による嫌がらせや暴力からパレスチナ人を守るために羊の放牧をする時に同行したり家庭にホームステイしたりし、入植者が嫌がらせに来た時にはその状況をカメラで撮影して写真や動画などの証拠を弁護士に送ったり、SNSなどで発信したりすることで入植活動を抑止しようとしています。
2000年初頭からこういったイスラエルの占領政策や入植活動に反対するNGOが数多く立ち上がり、現在は若い世代の活動家も増え全体で100~150人の活動家がいるそうです。その内20~30人が北部ヨルダン渓谷を始め西岸各地で常に活動している状況にあると言います。Ta’ayushやB’Tselemなど様々なNGOが存在してるのですが、その他多くは小規模で名も無いグループとのこと。NGOそれぞれに特色があり西岸内で直接的な活動を行う団体からアドボカシー活動を行う団体など様々あります。
イタマルさんがこういった活動に関わる様になったきっかけはイスラエル軍(IDF)で活動していた時の経験にあります。彼はシオニストの家庭で育ち、兵役中もユダヤ人はユダヤ人のための国家が必要で、国家を守るために強い軍を持ち、反ユダヤ主義を排除しなければいけないという強いシオニズム思想に染まっていたと言います。
パレスチナ人は敵であるという認識を持ち、悪人を捕まえるという警察的な役割を正当化していたそうです。そういったマインドセットで兵士として活動を続ける中、パレスチナ人を自爆テロの容疑者とした捕まえたり殺害することは新たなテロを生み出しているのではないかと感じる様になり、兵役が終わる数ヶ月前には自分たちがやっていることはイスラエル人の安全に何も貢献していない。自分自身もまたテロリストであると確信したと言います。
その後、CFPの設立やBTSの活動に関わる様になったそうなんですが、途中活動の方向性に迷い2008年に団体を離れ、2011~2012年にかけてこれからのことを模索するためしばらく活動から距離を置いていました。その後、ここ数年の間にTa’ayushの活動に関わる様になりPPAに関する論文の執筆に取り組んでいます。
今回の戦争の前から、イスラエル社会は極右化しアパルトヘイト政策を容認してきました。一方でリベラル左派の人々はパレスチナを占領し支配することの問題を強く意識し、パレスチナ人に権利を戻さなければならないと考えるようになりました。結局のところ、イスラエル極右政権やハマスなど過激思想に染まった勢力が社会を掻き回している様に見えます。
イタマルさんは「ハマスもイスラエル軍も同じに見える」と言います。重要なことはイスラエル人対パレスチナ人という構図で捉えることを止め「システム」に着目すること。イスラエル軍やハマスという組織に属して戦っている人たちは多くの無実の市民を殺しているでしょう。ただ、彼らを一個人として見た時、彼らは普通の人間であり時に人助けをするような善良な人間かもしれません。
権力のシステム、暴力のシステム、戦争のシステムなど人間はあらゆるシステムに組み込まれて役割を担った時に平然と無差別に殺戮を行ってしまう。そういったシステムと個人を切り離して考えることが大切であり、良い人間か悪い人間か、イスラエル人かパレスチナ人か、ハマスかイスラエル軍かという観点で捉えると本質を見失ってしまう様に思います。
今もSNSやニュースでは一方がいかに悪かを伝えて議論しているだけなのではないでしょうか。どうしても暴力の行使者に目が行きがちですが、それを生み出してしまう根本(システム)そのものに着目することも重要だと改めて感じました。そんな彼の話を聞いて哲学者ハンナ・アーレントの概念「悪の凡庸さ」を思い出しました。