*2020年1月執筆
<【第1回】より続き>
1990年5月、南イエメン(イエメン民主人民共和国)と北イエメン(イエメン・アラブ共和国)が統一し現在のイエメン共和国となった。北イエメンの大統領であったサーレハ大統領が統一イエメンの大統領として政治運営を行うも、北部を優遇する政策により次第に南部の人々に反発が生じる。
1994年5月、南部勢力が再独立を求め、内戦へ突入し南北再分断の危機に直面するも内戦は2ヶ月で収束。2007年になると南部の独立を目指す南部運動(ヒラーク)が活発化。そして2017年5月、南部暫定評議会(STC)が設立される。UAEは南部の都市アデンを始め、イエメン南岸の利権獲得のため独立派のSTCを資金面や軍事面で支援する。
2011年、中東や北アフリカで広がった民主化運動「アラブの春」により、イエメンで30年以上続いたサーレハ政権の独裁が終わり、2012年2月にサウジが支援するハーディ暫定政権が誕生した。
しかし政情は安定せず、反政府勢力フーシ派が台頭、2014年にクーデターを起こし、首都サナアを暫定政権から奪取。現在に至るまで首都を中心とするイエメン北西部一帯を支配している。
フーシ派は、サアダ州を中心に勢力を保持していたザイド派(シーア派)の部族から派生した。サアダ州はサウジと国境を接するイエメン北部の州であり、兼ねてからサウジの影響を受けていた。
そんな中、サウジに懐柔され協力する部族民が出てくる。それに危機感を抱いたフーシ家のバドルッディーン・フーシとその息子フセインがザイド派復興運動を推し進め、勢力を拡大していったのが始まりとされている。
2015年3月には、フーシ派がイランの支援を受けていると見たサウジは、UAEをはじめ9カ国を率いて連合軍を組織し内戦へ介入。暫定政権を支援し、フーシ派に対して空爆を行い、内戦は次第にサウジとイランの代理戦争の様相を呈していった。
また、2015年以降、アラビア半島のアルカイダ(AQAP)やイスラム国(IS)などの過激派組織が戦争の激化に乗じて勢力を伸ばしていたが、アメリカ主導の過激派対策などにより弱体化。しかし現在も南部の都市アデンの東に位置するアブヤン州やシャブア州を中心に一定の勢力を保持している。
戦争が激化して約5年が経過。その間に国連主導の和平交渉等が行われてきたが成果が出ず戦争は泥沼化。
2019年8月、STCがアデンにある暫定政府の大統領施設を占拠、東部アブヤン州やシャブア州への武力介入を行い、暫定政府軍との大規模な戦闘へと発展した。戦闘は暫定政府軍が勝利し、アデン奪還のため軍事侵攻したが、STCを支援するUAEが暫定政府軍に対し空爆を行う。
そんな中、2019年9月、サウジの国有石油会社であるサウジアラムコの石油施設が大規模なドローンやミサイル攻撃を受ける。 イランが関与していると見られているその攻撃ににより、石油生産量が一時的に半減するなど大打撃を受ける。
2019年11月5日、サウジの仲介により、対立状態にあったSTCと暫定政府が和解し停戦協定「リヤド合意」に調印。これにより両陣営による新政府樹立が見込まれている。また同月28日には、サウジは捕虜にしていたフーシ派の構成員128名を解放した。こうした流れから、サウジがイエメンにおける緊張緩和を進めているように見える。
その一方で、依然として泥沼化した戦争により、イエメン国内は深刻な人道危機に瀕している。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や世界食糧計画(WFP)の発表データによると、2019年8月時点で、イエメンの全人口の1割以上の約360万人が国内避難民、約27万人がイエメンの対岸に位置するジブチをはじめ、エジプト、ヨルダンなど国外で難民としての生活を余儀なくされている。
また、食糧不足や不衛生な環境などの影響により、飢餓やコレラが蔓延。人口の8割にあたる約2400万人が何らかの人道支援を必要としており「世界最悪の人道危機」と呼ばれている。
<【第2回】へ続く>